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「外部」と見た創価学会の現場 特別対談【佐藤 優×開沼 博】

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重要なのは"テキストの背後"

開沼 宗教を類型化すると、キリスト教で言えば、パパ様(ローマ教皇)の存在に象徴されるカトリックのカリスマ支配と、プロテスタントのテキスト重視と、二つの方向があります。創価学会は前者から後者に重心を移す時期にあるとも捉えられます。

 

佐藤 私たちプロテスタントもカリスマ支配のもとにはいるんです。ただしそれは、イエス・キリストというカリスマによる支配です。

 

プロテスタントは何もテキストを崇拝しているわけではありません。重要なのは〝テキストの背後〟です。御書の背後にいる日蓮大聖人。もっと言えば、その御書を監修した池田先生。御書を読みながら池田先生のことを思い浮かべるという現実が、聖書を読みながらイエス・キリストのことを思い浮かべるプロテスタントとの共通点かもしれません。

 

開沼 カリスマ支配というと、私自身も含めて信仰を持っていない人たちはすぐに盲従やマインドコントロールといったことを連想しがちです。

 

佐藤 外部から見ればそのように見えるかもしれませんが、内部の一人一人を見ているとむしろ逆であることが分かります。学会員の人たちは池田氏のことを思い浮かべながら「池田先生に見られても恥ずかしくないか」「池田先生に喜んでいただけるか」と自問することで、わがままではない真の自由を取り戻し、自らの価値を創造し、判断しているのです。盲従やマインドコントロールとは正反対です。

 

開沼 これまでにも宗教学や宗教社会学、都市社会学において、創価学会など、いわゆる「新興宗教」の研究は行われてきました。ただ、改めて既往研究を俯瞰し直すと、いわゆる「葬式仏教」ではない信者のアクティブな実践が伴う現代宗教に迫る研究、中でも創価学会に関する外部からの切り込みは「浅い」と評さざるを得ません。昭和の創価学会ならそうだったけど、という話とか、近年の論考でも、10人にも満たない少数へのインタビューを元にしていたりとか。一方には、そこに触れると自分も一蓮托生になっているとみなされるなど、トラブルになるというタブー視があり、他方では、そもそもステレオタイプを超えたところに興味関心が無いんです。

 

佐藤 宗教学の起源は、18世紀の終わりから19世紀の初めに行われた史的イエスの探究です。史的イエスの探究を実証的かつ客観的に行うと、1世紀にイエスという青年が実在したことは実証できないという結論になります。しかし、かといって不在証明もできないので、その探究は蓋然性(がいぜんせい)のなかに入ってしまいますよね。

 

そんなふうにして宗教という現象を実証的かつ客観的に見ていく流れにあるわけだから、宗教学のスタンスは基本的には無神論なんです。それは、別の言い方をすれば「宗教を信じている連中は遅れている」という上から目線なんです。あるいは「迷信を信じるのは許してやるけれども、いずれは解消されないといけない」という立場設定です。

 

それと分岐したのが近代の神学です。近代の神学では、1世紀の終わりにイエスが救い主であると信じていた人たちがいて、実証はそこまでで十分だと考えます。そこから先は、信仰や言説の内容に入っていくわけですから、実証主義ではありません。人間はどのように救済されるのがよいのか。そこを追求していくのが近代の神学ですので、宗教学とはアプローチが全く異なります。したがって、私たち神学を専門とする人間は、創価学会の教学的なアプローチにまったく抵抗感を抱きません。

 

開沼 なるほど。とてもよく分かりました。そこが分からないと、学会員がなぜ折伏するのかが理解できないでしょうね。大半の外部の人々は、「強引な勧誘」といったレベルでしか捉えられていません。連載では、そういった点にも踏み込むことはできました。

  • 佐藤優氏

師弟の結びつきへのプロセス

開沼 先に触れた学会員の師弟観について、キリスト教の信仰者でもある佐藤さんに伺いたい。例えば、SGI(創価学会インタナショナル)のメンバーからすれば、知らない国の知らない人であった池田氏が、ある瞬間から師匠に切り替わる。その瞬間があるらしいということは見えたのですが、そのプロセスがなかなか理解しきれなかったんです。ご本人に説明してもらっても。これはどう捉えられますか?

 

佐藤 19世紀初めにフリードリヒ・シュライアマハーという神学者がいました。この人は近代神学において極めて重要な役割を果たしています。コペルニクスとガリレオ以降の宇宙観では、上下の概念がなくなるわけだから〝上にいる神〟が成り立たなくなります。そこでシュライアマハーは〝神は心のなかにいる〟という画期的な発明をして、神を成り立たせたわけです。座標軸では示せないものの、神は確実にいる。神の居場所を心にすることで、シュライアマハーは宗教と自然科学との矛盾を解消したんです。

 

このシュライアマハーがこんなことを言っている。あらゆる優れた精神は、別の優れた精神によって触発される――と。つまり、SGIのメンバーは心のなかで池田先生と出会うことで触発を受けるんです。別の言い方をすれば感化です。何かを決断をして創価学会に入会したり、池田先生の弟子になったりしているわけではない。テキストを読んで正しいと思うから仲間に加わるというのは、どちらかと言えば日本共産党への入党の類型に近い。創価学会の場合は、もっと人格的な交わりによって感化を受けるんです。実際には、ある学会員に出会って、その人の生き方を見て自分も入会するんだけれども、その触発の原型は池田氏との出会いなんです。

 

開沼 正典が閉じてランダムアクセスできるからこそ、師匠からの触発や感化を受けられる。先の世界宗教化の話とも通じますね。

宗教的エネルギーをいかに維持するか

開沼 世俗化している現代社会においては、いかなる信仰集団も基本的には衰退する可能性が高い。創価学会も例外ではないですが、他と並べると、その衰退速度は遅く、海外ではむしろ拡大している。これはなぜか。佐藤さんはどのように考えていますか。

 

佐藤 一つは、創価学会が比較的新しい教団だからということがある。

 

開沼 新しいからこそ、現代人にマッチするということですか。

 

佐藤 そうです。例えば創価学会の場合は、戦時中に牧口常三郎先生が神札を受けなかったことで特高警察に捕まるだけでなく、そのときの尋問で真っ向から不敬罪に引っかかるような発言をしています。

 

ただし、時代が変われば状況も変わるし、社会における役割も変わる。いまや公明党は与党であり、創価学会は世界宗教化の段階に入っています。したがって、常に調整が必要になります。創価学会はその調整を怠っていないからこそ、エネルギーを維持できているのだと思います。

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