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「女将、来年は雪を降らせておいてね」── 志村けんとあわら温泉「べにや」(福井県)
温泉の真理――、それは「日本人はひとたび温泉に入り、浴衣に着替えればただの人。社会的立場や、鎧を脱ぎ捨て、素顔をさらすことができるのは温泉宿しかない」ということだ。
温泉エッセイストの山崎まゆみが昭和のスターたちの「素顔」に迫るノンフィクション「宿帳が語る昭和100年」(定価1980円/小社刊)。潮プラスでは、本書に収録されている全24話のエピソードのうち珠玉の話を特別公開する。
いまも国民の心に生き続ける人気者――志村けん
はにかみながら旅館に入ってくる志村けん。その姿はテレビ番組で見せる賑やかなイメージとは対極で、決して目立つことはなかった。
令和2(2020)年3月29日。新型コロナウイルスによる肺炎のため、志村けんが亡くなったニュースは日本中を震撼させた。いまも国民の心に生きる志村けんは、20年にもわたり、毎年、お正月に福井県あわら温泉「べにや」を訪れた。
志村けんの定宿「べにや」は、明治17(1884)年創業。手入れが行き届いた3000平米の日本庭園を囲む二階建ての建築物は、国の登録有形文化財に指定されていた。その風情ともてなしは志村けんだけでなく、多くのお客をとりこにし、北陸の名旅館として名を馳せた。
それが平成30(2018)年5月5日昼、火災が起きた──。
火元は二階の宴会場の屋根裏。漏電ではなく、小動物が配線をかじり、火花が飛んだのではないかとされている。この日は、西から強い風が吹き上げ、火をあおり、東西方向に建つ宿を燃やしていった。
「ただ燃えていく建物を見守るしかなかったです。炎の勢いがすごく、こんなに燃えてしまうのかというぐらいの全焼でした」と女将の奥村智代さんが思い出す。
幸い、人的被害はなかったが、残ったのは庭と「べにや」の看板、「べにや」シンボルの椎の木、別の場所に所蔵していた調度品のみだった。「べにや」の火災は旅館業の皆が胸を痛めたし、本当に再建できるのかと心配した。
旅館はただの建物ではない。
お客とともに育み、磨き上げてきた魂が宿る。その建物を一日にして失う。それも、心の準備もなく。どれほどの大きな喪失感だっただろう。
「どうしよう……という迷いもありました。ただ火災が起こった日は偶然にも昭和31(1956)年の芦原大火後に『べにや』を再建した祖父の命日でしたし、祖父からの『がんばれ』というメッセージではないかと受け止め、同じ場所で旅館をやりたいと決意しました」と当時の心情を話す奥村隆司社長。
さらに奥村社長と女将の背中を押した要因が二つある。
まず温泉の源泉。奥村社長は「源泉は使えるままの状態で残りました。あぁ、源泉があればもう一度、この場所でまた宿ができると決意を強くしました」。
次に「べにや」を愛したお客の声だった。
「2000通ものお便りが届きました。私どもの宿をこんなにも愛していただいていたのかと、驚きました」と女将はうっすら涙を浮かべた。
その無数の励ましの声のひとつが志村けんからの一本の電話だった。志村けんは毎年「べにや」に宿泊していたが、帰る時に翌年の予約を入れていたので、これまで一度も電話をしてくることはなかった。
志村けんが初めて「べにや」に電話をかけてきたのは令和元(2019)年11月18日。
「どう? 再建は進んでる? 必ず一番最初に行くからね。お正月を待たずに行くからね。身体に気を付けて、頑張ってね」
短い電話だったが、再建にさまざまな不安を抱えていた奥村社長と女将の心に届いた。
新型コロナの影響で建材が入手しにくくなり、新たな壁が立ちはだかるも、強い思いで突き進んでいく。

志村けん(イラスト:南 伸坊)
予約の仕方にも気遣いが
志村けんが最初に「べにや」を訪れたのは、平成12(2000)年頃。福井県在住の知り合いに連れられて来た。その翌年から、毎年1月3日か4日にやってきては、3~4泊滞在した。
到着すると、いつもの「呉竹(くれたけ)」の部屋に入った。
「ほとんどの時間をお部屋で過ごされ、ご到着前に浴衣数枚と丹前、バスタオルなどを一通り用意しました。志村さんがお好きな焼酎に、福井が誇る酒蔵「黒龍」の石田屋、二左衛門、そしてグラス、氷もお部屋のテーブルに置き、いつでもお楽しみいただけるようにご用意しました」と、女将は酒好きだった志村のことを語った。
日中は酒を飲み、温泉に入ることを繰り返し、夕方になると、不精髭を生やしたまま浴衣と丹前で温泉街を散歩に出かけた。
「志村さんはお戻りになると、にこにこしながら『気づかれなかったよ』『二度見されたけど、誰も声をかけてこねぇよ~』などとおっしゃり、あわらの人の反応を楽しんでいました」
「べにや」は客室で食事を摂る。志村けんの部屋の係は、いつもベテランのあい子さんだった。冬の名物の越前ガニを用意するあい子さんに、志村は酒を片手に自身が出演するTV番組を観ながら語りかけた。