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「女将、来年は雪を降らせておいてね」── 志村けんとあわら温泉「べにや」(福井県)
「この放送ね、こう流れたけど、もっとこっちからも、あっちからも撮っていたんだ。もっとこう編集したほうが良かったんじゃないかと思うんだな、どう思う?」
「そんな細かいこと、素人にはわかりませんよ」
「でもね、このほうが良かったんじゃないかな……」
「専門の人に任せておけばいいのよ」
「そうかな……」
あい子さんは志村けんに対して特別扱いはしなかったし、さばけた性格のあい子さんに親しみを覚えたのだろうか、いつも自分の仕事について率直な意見を求めた。
志村けんは自著で自らを「職人」と呼ぶ。旅館で寛いでいても、四六時中仕事のことを考えていたとは、その気概に驚かされる。
仕事で福井や石川に来た時も、「僕たちはチームで動いているから、和を乱さないように」と、”ついで”に立ち寄ることはなかった。
こんな職人気質の志村けんだが、「べにや」では子ども好きの一面を見せた。
「うちの子どもたちを本当に可愛がってくださいました」と、女将が見せてくれた写真には、志村けんと子どもたちがじゃれあう姿がある。
「うちの四人の子どもにお年玉を下さいました。名前を入れたぽち袋まで用意してくださったんですよ。部屋に呼ばれたり、ロビーで渡されたり、子どもたちも、もう大喜びです」
女将はさらに志村けんの人柄を語り続ける。
「志村さんはご自分のことはご自身でやられましたが、仮に私に何かを頼まれたとしても、『俺のことを先にやって』とおっしゃる方ではありませんでした」
混みあう年末年始ではなく、少し落ち着く1月3日か4日に来ることにも、志村けんらしい気遣いが表れている。
「うちでお正月を過ごすことを恒例とし、楽しみにしているお客様に割って入り、予約されるようなことはありませんでした」
決して無理を言わない志村けんが、唯一、女将に頼んでくることがあった。
「お帰りになる時に、必ず私に『女将、来年は雪を降らせておいてね』とおっしゃるんです。私が『はい、かしこまりました』と申しますと、安心したように微笑まれました。お部屋から眺める庭がお好きでした。冬は雪吊りをするんですよ」
志村けんは、翌年の予約を入れて帰った。
「志村さんは毎年、年末になると麻布十番の『豆源』から詰め合わせを贈ってくださいました。それはそれは大きな段ボールで(笑)。『お正月明けには行くからね』という合図でした」
なんて愛嬌がある人なのだろう。

「呉竹」の部屋から庭を眺める
再建された現在の「べにや」
平成308)年5月に全焼した「べにや」が再建したのは令和3(2021)年7月。3年以上の時間を要した。そして同2(2020)年3月に亡くなった志村けんがふたたび「べにや」に来ることはなかった。あれほど「べにや」再建を心待ちにしていたのに──。
私が「べにや」を訪ねたのは、令和4(2022)年、関東が梅雨入りした日。あわら温泉では小雨が降り、空気中の埃を洗い流し、大気が潤っていた。
再建された玄関の庭先に、焼失を免れた「べにや」の看板が掲げられてあった。飛び石を渡り、上がり框(がまち)で靴を脱いで館内に入る。真新しい畳が心地よく、ロビーからは火災から残った庭が見えた。
新しい「べにや」は平屋で、個性ある17室が作られた。以前からの庭を囲むように客室が並び、庭の見え方は部屋ごとに異なる。
ロビーのすぐ横には調理場がある。調理場はガラス越しに中が見えるようになっており、奥では料理人が神経を研ぎ澄ました表情で仕事をしていた。
「再建にかかるお金や旅館経営を考えたら二階建てにして、もう少し客室を作り、効率的な方が良いのではないかと悩みました。でもそれぞれのお部屋でお食事を楽しんでいただきたかったですし、料理を運びやすいようにと調理場を客室の近くに設けました」と女将が話す。加えて、全客室に温泉を引くために、温泉の湧出量に見合う部屋数にしたことも理由に挙げられる。奥村夫妻には「日本の旅館文化を守りたい。子どもたちの記憶に、旅館体験を残したい」という純粋なまでの想いがある。
部屋に籠る志村けんが仕事人の顔を見せたのも、食事を運ぶあい子さんとの会話だ。
女将は「お客様は家族同様に考えています」と語る。その気持ちがお客に伝わり、再建を促す2000通もの応援の手紙となったのだ。志村けんもまた、「べにや」の子どもたちには「気さくなおじさん」という存在だったのだろう。
「芸能人の皆さんの多くは、お正月にはハワイに行かれますよね。志村さんはなぜうちをお選びいただいたのでしょうかね」と女将は不思議そうにするが、奥村夫妻の確固たる旅館イズムに、職人気質の志村けんが共鳴したのではないか。
新生「べにや」の「呉竹」は、火災前の「呉竹」とほぼ同位置に再建されたので、志村けんが眺めた庭がそこにある。
「呉竹」の座敷に座る。雪見障子を開けると庭が見渡せた。もっこりとした苔の上に、椎の木や松や青紅葉の木々が生き生きと茂る。木々の葉には雨の粒がしたたり、葉が潤いを得てワントーン明るく見えた。
木造建築だからこそ、雨がしたたり落ちる音は優しく響き、窓を開ければ、風が通り抜けた。木と土壁の匂いが鼻孔をくすぐった。木造建築の独特の香りからも、女将が守ろうとする「日本旅館」を体感できた。
志村けんは、どれほど完成を待っていただろう。どれほど来たかっただろう。
ふと、「呉竹」で、志村けんがにこにことしながら様子を見に来ている気配がした。
ねえ、志村さん。
「べにや」は前を向いて頑張っていますよ。

「べにや」の奥村夫妻の子供たちと志村けん(宿提供)
文=山崎まゆみ(エッセイスト・ノンフィクションライター)
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