2025年、第二次トランプ政権が誕生した。専門的な知性と外交的プロセスを軽視して踏み切ったイラン攻撃。時にはハーバード大学やローマ教皇と対立し、たびたびエリートを批判するトランプ大統領を生んだアメリカという国を「反知性主義」「国家と宗教」の観点から、国際基督教大学名誉教授で神学者の森本あんり氏が読み解く。(潮2026年6月号より転載)
極端に知性的だったピューリタンの信仰
アメリカという国を理解するには、建国の原動力ともなった「反知性主義」や「信仰復興運動(リバイバリズム)」について理解する必要があります。
まず「反知性主義」とは何か。これは「反知性」を掲げた「主義」ではありません。そうではなく「反・知性主義」、つまり「知性主義」に反発する潮流です。
現代では「反知性主義」という言葉を、知性を否定したり蔑ろにする愚かな人たち、といったニュアンスで使うこともあります。ただ本来は、知性が過剰に尊重され、権力と結びつくことに反発し、固定化した権威から人々を解放して新しい社会にしようというポジティブな意味を含んで使われた言葉です。
独立前のアメリカには、「知性主義」が蔓延していました。アメリカに渡ったピューリタン(清教徒)が、極端に知性的な信仰理解をしていたからです。もともとプロテスタントは、ミサなどの儀式を重視するカトリック教会や聖職者への不満から誕生しました。
1000年以上続くカトリック教会の歴史を否定するのはおおごとで、その根拠は聖書にしかありません。そこでプロテスタントは、聖書を一般信徒が読んで理解するという知的活動を重視しました。そして聖書の言葉を正しく解釈して解説できる、高い知的能力を持つ牧師を大学で養成しました。
そんな知性を重視するプロテスタントの先鋭化した集団が、ピューリタンです。ピューリタンは16〜17世紀のイングランドで、イギリス国教会の改革を不十分と考え、より純化し徹底した宗教改革を求めたプロテスタントの人々です。彼らは政府から激しく弾圧され、自分たちが理想とする神の国を新天地で築くために、アメリカ大陸に渡ったのです。
信仰復興運動とは何か
ピューリタンが入植したニューイングランドは、世界史的にも稀な知的社会でした。識字率が高く、人口あたりの大学卒業者が異常に多かったのです。さらにハーバードやイェール、プリンストンなどの大学を次々と設立し、知的エリートである牧師を養成しました。
ただ、みんながそれで満足できるわけではありません。やがてこうした知性主義に対する信徒の信仰的な反発が興ります。
たしかに牧師は知的で偉いかもしれません。でも聖書を読むと、イエスの弟子のリーダー的存在であったペテロは漁師で、学校に行っていません。ということは、信仰の深さと知的レベルは関係ない。それこそがイエスの教えではないか。そんな考えが大衆の間で広がっていきます。
実際イエスは、当時の知的エリートだったパリサイ人(ユダヤ教の指導者)や律法学者を批判し、もっと素朴な信仰が大事だと説いています。そこで知的権威を持つ聖職者に対し、神の前では学のない自分も平等だと胸を張って言えるような意識が、民衆に芽生えます。
このような反知性主義の土壌とともに、アメリカの歴史において何度も繰り返し起きているのが「信仰復興運動」なのです。権威化、形式化した信仰から、個人の情熱的な回心体験を通じて、本来の信仰を取り戻す運動です。
すでに植民地時代のアメリカには「信仰は繁栄を生む。そして娘が母を食い尽くす」との言葉がありました。娘とは繁栄、母とは信仰のことです。篤い信仰心のもと一生懸命働くことで裕福になり、社会も繁栄する。しかし、やがてその豊かさが災いし、信仰が食い尽くされていく――そのような戒めの言葉です。
当時のキリスト教徒の多くはアメリカが繁栄し、豊かになればなるほど、自分は本当の信仰を失ってしまったのではないかとの不安を抱えていました。そのような不安に語りかけたのは、エスタブリッシュメントの牧師ではありません。大学など行っておらず、聖書さえまともに読めない、いわば素人伝道者たちでした。
彼らは町から町へ渡り歩き、身近な話題から始め、自らの信仰的確信に基づく話をしました。彼らの話は抜群に面白く、娯楽のない時代に多くの人を惹きつけました。
