酪農の黎明期は現代とは大違い
高島 新田次郎文学賞を受賞された『土に贖う』(集英社文庫)は、北海道で興り、やがて衰退していったさまざまな産業を取り上げた連作短編でした。酪農という産業の、日本における黎明期を描くこの新作は、ある意味で『土に贖う』と地続きともいえますね。
河﨑 そうですね。自分がかかわってきたこともあるので、私は産業としての酪農にすごく興味があります。それと、『土に贖う』の各編でも描きましたけれど、時代の変化で人々の価値観がガラガラと変わっていくプロセスにも、強く心を惹かれるんです。
高島 河﨑さんは酪農のプロだから、酪農についての描写は基礎知識十分で、書きやすそうですね。
河﨑 いや、それが意外にそうでもないんですよ。同じ酪農とはいえ、現代と明治期ではやり方もまったく違いますからね。たとえば搾乳(乳を搾ること)だって、当時は人の手でやっていたでしょうし……。
高島 ああ、そうかぁ。
河﨑 いまは普通にある技術がまったくなかった明治期に、どうやっていたんだろうと考えると、調べないとわからないことがたくさんあります。たとえば、牛乳の殺菌や保冷についてです。いまなら「バルククーラー」(ステンレス製冷却タンク)というものがあって、搾ってすぐに電気の力でガーッと冷やせますけど、当時はどうしていたのかな、とか。
高島 気候からいっても、北海道より千葉のほうが温暖なだけに、保冷は難しかったでしょうしね。
河﨑 ええ。気候が違えば植物相も違うので、牧草の様子も変わり、酪農のやり方も変わってきます。その意味でも、北海道で酪農業を営んできた私の知識と経験は、そのままではこの小説に使えないのです。明治期の酪農の飼育状況とか、いろんなことをしっかり勉強しながら執筆したいと思います。
高島 それにしても、千葉県が日本の酪農発祥の地だというのは、ちょっと意外です。日本で酪農といえば、北海道というイメージだったので。
河﨑 現在の千葉県南房総市の大井地区が保里ますの出身地ですが、そこの嶺岡というところに、江戸幕府直轄の広大な牧場「嶺岡牧」があったのです。そして、その嶺岡牧で明治期に乳牛飼育を指導したのがジョセフ・デネレーで、彼が保里ますの夫なんです。こうしたことから、安房地域が乳牛の産地として隆盛をきわめることになっていきます。
高島 明治以前の日本人って、牛乳は飲んでいたんですか?
河﨑 農耕や運送に使う労働力としての牛はいたでしょうが、牛乳はほとんど飲まれていなかったと思います。幕末に初代米国総領事としてタウンゼント・ハリスが伊豆下田に赴任したとき、「体調が悪いので牛乳を飲ませてほしい」と要望して、幕府側が困ったという有名な話がありますね。ハリスに世話役として仕えた女性、いわゆる「唐人お吉」がこっそり農家から牛乳を手に入れて、ハリスに喜ばれたともいわれています。
高島 じゃあ、明治の文明開化でやっと牛乳を飲む習慣も始まったのですね。
河﨑 そうだと思います。そして、最初期の牛乳の普及に尽力したのが、保里ますだったわけです。