九州の青年部が挑んだ「10万人の第九」は、マリンメッセ福岡と116の会場を結んで行われた(2001年12月)。その中継会場には、奄美群島をはじめとした幾つもの島も含まれていた。
"ヤマト神"の宗教と嫌悪された創価学会が、南の島々にいかに根付いていったのか。その陰には、各地で一人立った先駆者たちを"仏の子"として敬い続けた池田の励ましがあった。
書籍『民衆こそ王者 池田大作とその時代』23巻から一部を抜粋して紹介します。
"傲慢な者を力強く軽蔑せよ"
その日、池田大作はマリンメッセ福岡から1000km離れた東京の学会本部にいた。総合リハーサルの直前、「最初から最後まで、全部見るよ」と伝言を届けた。
九州長だった山本武は「『第九』の演奏が終わった後には『全部、見ました』『満点でした』などの伝言をうかがいました。じつは本番の最中も、池田先生からの伝言が何度も届いたんです。第1部でも、第2部でも、一つの演目が終わるたびに『よくやった!』『素晴らしい!』と。マリンメッセのメイン会場から、電話がかかってくる控え室まで、何回走って往復したか正確な数は覚えていません」と振り返る。
笠岡勇志は九州青年部長として運営の責任を担った。「"第九は外道礼讃"という宗門の考えはすっかり有名になりましたが、池田先生が『5万人、10万人で第九を』と具体的に提案することで、結果的に日顕宗(宗門)の本性を露わにされたのではないか。そう思えてなりません」と語る。
かつて池田から教わった"傲慢な者を力強く軽蔑せよ"という先人の一言に衝撃を受けた。
「大石寺で行われた学生部の夏季講習会です。第二次宗門事件が起こる1年以上前でした」。
池田は訴えた。
「(教育者の)ペスタロッチは、北欧デンマークから訪れたある教育者に、次の言葉を贈っている。
『思慮深く軽蔑することを練習せよ。傲慢な者を力強く軽蔑し、そして弱い者を崇高に高めよ』(長田新編『ペスタロッチー全集1』平凡社)
この言葉には、一般社会の傲慢な人間に対する鋭い示唆がある。とともに、信仰の世界も、また同じと言えるかもしれない。
傲りの指導者ほど、迷惑で、厄介な存在はない。従う民衆は、勝手な言動に左右され、動揺し、不安となり、結局は不幸の道をたどる以外にない。
要するに、民衆が、高慢な指導者の言いなりになっていては、幸せな社会は永久にできない。庶民が黙っていれば、指導者はますます増長し、民を侮り、堕落していく。ゆえに民衆は、傲りの人間に対しては、かえって手玉に取るくらいの賢明さと勇敢さをもって戦っていくべきである。ここに、庶民が主役となって、真実の民主社会を開き、建設しゆく道があるからだ。(拍手)
また、弱者には、どこまでもあたたかく、包み、励ましていく――これが本来のリーダーであり、信仰者の姿でもある。
草創以来の学会の伝統精神も、ここにあった。この方程式は、これからも永久に変わることはないし、変わってはならない。悩める庶民の救済こそ、仏法者の最大の使命であり、根本精神であるからだ。(拍手)
ペスタロッチは、訴える――崇高な精神によって立つ人が、畏縮した弱者の立場に甘んじている限り、社会の悲惨を転換することはできない。だから、未来の人類のために打って出よ――と。
このペスタロッチの魂の叫びを、私もまた、叫びたい気持ちでいっぱいである。(拍手)」
(『池田大作全集』第73巻)
宗門の暴走が、創価学会の「破門」にまで至った「第二次宗門事件」。「10万人の第九」は、その一つの決着になった。
原田誠一は「じつは、青年部の私たちよりも、婦人部の方々の歌声のほうが大きかったんですよ」と苦笑いする。当時、与論支部の婦人部長だった中嶋シズは「そうだったかしら。よく覚えてないですよ」と朗らかに笑う。島で、「第九」の演奏会を中継する。しかも、参加者も一緒に歌う。そんな試み自体が極めて稀だった。年配の人々も歌詞カードを手に練習し、喜々として歌った。
ちょうど与論池田平和会館が完成したばかりだった。落成式には町長をはじめ多くの来賓や友人も訪れた。いちばん広い「栄光の間」に参加者が入りきらず、一階ロビーの「アグンチャー(友だち)広場」まであふれた。「会館ができた後、会館の前の道路も整備されました」(元井勝彦)。
宗門が切り捨てたベートーヴェンの「第九」。ならば、その世界一有名な旋律で友情を広げよう――こうした動きが日本列島の隅々にまで行き渡っていった。いっぽうでは、悪僧たちの実態も島の人々に知れ渡っていた。原田誠一は「私の父は与論支部の初代支部長でした。父が亡くなったのは第二次宗門事件が起きた直後で、島で最初の友人葬でした。友人葬で送ることができて、本当によかった」と振り返る。その数年前、胸が締めつけられるような経験をしていた。
「祖父が亡くなった時、徳之島から宗門の坊主が来たのですが、葬儀での言動がとにかくひどかったんです。遺族である私たちに『(僧への)敬いが足りない』と言って威張り散らし、いちいち叱りつける。参列した人たちも『なんだあれは』と呆れていました」
「友人葬が増えると、学会員ではない人から『真心で故人を送れるし、供養料も取られないし、これがいい』といった声をよく聞くようになりました」