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母・田部井淳子が教えてくれた“人生”という山登り
女性として世界初のエベレスト登頂から半世紀――映画公開を機に、田部井淳子の長男・進也氏が“赤裸々な母”の素顔と遺志を語る。反骨の10代、高校中退から研究へ。震災後の「被災者ハイキング」を経て始めた東北の高校生たちによる富士登山。母から教わった〈一歩一歩〉の教えを、次世代へ。
(月刊『潮』2025年11月号より転載)
世界的女性登山家の生涯を描いた作品
――登山家の田部井淳子さんといえば、女性として世界で初めてエベレストに登頂されたことで有名です。この10月には、田部井さんのご著書『人生、山あり"時々"谷あり』を原案にした映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』が公開されます。初めに、ご本や映画をご覧になった感想をお聞かせください。
田部井進也 母にはたくさんの著書があるんですが、この本は読んだことがなかったんです。今回、映画化されることになって初めて読みました。自宅にも事務所にもなかったので、アマゾンで買って。
通勤電車のなかで読みましたけど、赤裸々に書きすぎだろうというのが率直な感想でしたね。まあ、僕が十代の頃にヤンチャしていたときのことを隠さないところも母親らしいんですけど、それにしても赤裸々すぎる(笑)。嘘はないですし、もう出ちゃったものなので、仕方ないとは思っていますが。
映画化の話を聞いて、思わず笑ってしまいました。母役が吉永小百合さんで父役が佐藤浩市さん、姉役は木村文乃さんで僕役は若葉竜也さんですよ。凄すぎて、映画が告知されればされるほど心配になるみたいな。だって、ただ山を登っていたおばさんの話ですよ? 文句言われても俺おれのせいじゃないよって感じですよね。(笑)
――吉永さんが主演を務められるのは、生前のお母さまと親交があったからだそうですね。
田部井 2016年に母が亡くなったときに、吉永さんからお花を頂戴しました。ただ、住所や連絡先が分からなかったので、お礼することができないままだったんです。なので、映画化が決まったときには、何より初めにきちんとお礼ができなかったことを謝罪したい旨を伝えてもらいました。生前の母は素晴らしい方々とお付き合いさせてもらって、本当に幸せだったと思います。
ヤンチャだった十代の頃の思い出
――映画では、進也さんの十代の頃も描かれていますね。
田部井 高校を中退するくらいでしたからね。本も映画も9割以上が本当のことです。1991年に母が福島県県民栄誉賞をいただいたときのことですけど、母の生まれ故郷の福島県でパーティーがあったんです。県知事も来るようなちゃんとした会で。当時、僕は中学生だったんですけど、髪は茶色に染めていて、ジーパンを腰穿きして、キャップを後ろ向きに被て、ピアスもつけて行ったんですよね。スケボーを片手に。さすがに姉から肘鉄を食くらって「ピアスだけは取れ」と。
パーティーが終わると、母は友人から「どうしてああいう息子を表に出すわけ?」と聞かれたそうなんです。その答えが田部井淳子らしいんですけど、「ポケットに入らないからね。入れば仕舞いたいんだけど、入らないから仕方ないの」って言ったらしいんです。
――お母さまがエベレストに登頂されたのは1975年。その3年後に進也さんがお生まれになるわけですが、子どもの頃のお母さまはそれこそ日本中、世界中を飛び回っておられたわけですよね?
田部井 幼稚園児の頃には、母が家にいないことを自覚しましたね。だから"鍵っ子"でしたよ。だけど、共働きの友だちも同じ感じだったのでね。
高校中退のはずがまさかの研究の道へ
――中卒という話がありましたが、高校を中退されたあとはすぐに働かれたのですか。
田部井 中退後にすぐに働きはじめようとしました。ただ、当時の中卒は選択肢がないんです。なので、やっぱり高卒の資格は取ったほうがいいと思って、同級生からは2年遅れで福島県内の高校に進学しました。競技スキーをずっとやっていたので、それで進学できる県立高校が南会津にあったんです。それ以前は、東京の歌舞伎町とか六本木とかで遊んでいたので、高校生活を続けられるかはかなり怪しかったんですけどね。
南会津は本当に田舎で夜8時になると真っ暗だし、携帯電話の電波はずっと圏外なんです。だから、毎月利用料金がかかる目覚まし時計と化していました。
それでも何とか高校の卒業が見えてきたときに、保健室の先生から大学進学を勧められたんです。まったく想定していませんでしたが、勉強せずにスポーツ推薦で進学できる大学を見つけたので、そこに行きました。それが20歳のときです。
大学はスムーズに4年で卒業できたものの、進路については、なんとお世話になった教授から大学院を勧められたんです。少し前まで中卒だった僕が大学院に進学するイメージは湧かなかったので、そのときに初めて進路について母に相談しました。すると「楽しそうだね。行けるなら行ってみたら?」と。それで大学院に進学して、観光の視点から登山を研究しました。
あるとき、人類で初めてエベレストに登頂したエドモンド・ヒラリーに、母を経由してアンケートを取ると、「淳子の息子なら」ということで回答してくれたんです。レジェンドから直接回答してもらったアンケートをもとに論文を作成したので、中間発表などでも無事に通過できました。ちなみに、母はそのときの僕に感化されて、九州大学大学院でエベレストのごみ問題を研究するようになったんですよ。
修士課程を修了したあとは、少しだけ筑波大学大学院野外運動研究室に研究生として所属し、その後はアウトドア系のアパレル企業に就職しました。そして、2006年に母が経営する会社が運営していた「沼尻高原ロッジ」(福島・猪苗代町)の経営管理者になりました。