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度重なる医療への攻撃――日本人外科医が見た南スーダンの現実 医師・村上大樹

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中学時代からの志を抱えて


MSFは、非営利で国際的な民間の医療・人道援助団体として1971年にフランスで設立。日本でも92年に団体が発足した。


以来、世界各地で独立・中立・公平な立場で医療・人道援助を継続している。2024年、MSF日本からは、延べ128人が31の国・地域へ派遣され活動した。


村上がMSFの活動を知ったのは中学2年生のとき。テレビ番組で、途上国の医療支援をするMSFの活動を見て、「いつか自分も困っている人びとのために働きたい」と強く思うようになる。


「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはいけない」「他人の前に火を灯せば、自分の目の前も明るくなる」と、母親から聞かされて育った。高校の創立者は「何のため」を問い続ける大事さを教えてくれた。こうした言葉が、村上の人生観を形づくっていく。


鳥取大学医学部で外科を専攻したのも、命に直結する治療に携わりたいと考えたからだ。大学院卒業後、地方病院で外科医として研鑽を重ねつつ、産婦人科や整形外科など専門外の分野も進んで学んだ。将来、MSFで活動することを考えて、幅広い症例に対応できるよう準備していたのだ。


念願が叶い、2008年にMSFスタッフとして初派遣される。


「初めて派遣された南スーダン(当時はスーダン南部)では、現場でうろたえるばかりで何もできず、自分の力不足を痛感しました。その悔しさが今の自分を支えています」


以来、村上は紛争地や災害地など過酷な現場を十数回にわたって経験してきた。その中で培われたのは、医療技術だけではない。スタッフとの信頼関係、現地文化の理解、限られた資源で最大の成果を出す判断力、そして自らを律する精神性など、多岐にわたる。


「必死に命を助けようとしても、現地の文化によっては『このまま死んだほうが幸せだ』と患者さんの周囲の人に言われることもあります。医療者の使命として、助けられる命は助け続けますが、正解は一つではない世界があることは強烈な学びでした」


忘れられない出会いも数多く刻んできた。


コンゴ民主共和国では、盲腸の娘を抱えた父親が、1週間も飲まず食わずで歩いて病院にやってきた。その父親は村上を見るなり「お前が手術できるのか?」と訴える。村上が「そうだ」と答えると、「この子を頼む」と娘を託し、父親は力尽きてその場に倒れこんだ。


イラク北部のシリア難民キャンプでは、灯油ストーブの爆発に巻き込まれた母子がいた。爆発の瞬間、自らを盾にして子どもを守った母親は、背中全体に重度の火傷を負っていた。「この子をお願い、この子をお願い」と訴えながらその母親は息を引き取った。


「この人たちが日本に生まれていれば……と思うこともあります。ですが、国籍や民族が異なったとしても、子を思う親の心は共通なのだと、強く実感しました」


5年前に派遣されたある国では、胸に大きな腫瘍ができた十代の少女がいた。壊死した組織が悪臭を放つため、家族からも隔離されて独りぼっちで暮らしているという。「手術してくれる医者がいる」という噂をたよりに村上のもとへやってきたのだ。


「5年ぶりにその村へ行ったら、すっかり元気になった彼女が訪ねてきてくれました。結婚して子どももできて幸せに暮らしていると話していました。『自分の活動が役に立ったのだ』と、胸の奥が熱くなったことは忘れられません」


紛争地帯や貧困地帯には、無数の困難や悲惨が渦巻く。そんな渦中でも、医療を通じてつながった人間と人間との出会いによって、希望の光が差し込む瞬間がある。

  • 南スーダンの恨んで活動するMSFのチーム

    南スーダンの恨んで活動するMSFのチーム(2022年11月6日)©MSF

日本の医療と国際貢献の未来


途上国の過酷な現場を経験してきた村上は、日本の医療をどう見ているのだろうか。


「日本の医療は世界最高水準であり、国民皆保険制度によって平等に医療を受けられることは素晴らしい仕組みです。ただし、専門分化が進みすぎることで、患者の全体像を見失う危険性も感じています。私が現場で学んだ『正解は一つではない』『相手にとって社会背景も含めた最適解を探す』という姿勢は、日本の医療にも必要ではないでしょうか」


さらに、医師の働き方についても警鐘を鳴らす。村上自身、25年にわたって外科医を続けてきたが、医師の自己犠牲に頼った働き方は限界にきているという。勤務条件の厳しい外科医や救急医は、今後大幅に減ってしまうことが懸念されている。


「今後はタスクシェアやチーム医療など多様な働き方を導入しなければ、日本の医療は持続できないでしょう。特に地方部での医師不足は深刻ですから、患者さんの医療アクセス格差も心配ですね」


国際社会においては、医療だけでなくその他の分野でも日本が果たしうる役割は大きいと村上は言う。教育、技術移転、環境対策、保健インフラ支援など、多様な領域での国際協力が求められているからだ。だからこそ、紛争や貧困といった国際的問題についての関心を持ち続けてほしいという。


「皆さんの関心が薄れれば、現場の危機も遠い話になり、支援の輪が細ってしまう。MSFの活動も多くの日本人の方々の支持によって支えられてきましたから」


また日本人が人材として課題の現場に参画することは、重要な国際貢献になる。


「多種多様な背景をもつ人々が集まる現場では、時にチーム内での対立が起きることもあります。そんなとき、日本人は勤勉で調整役としても優れているので、現場で緩衝材のような役割を果たせるのです。日本人は自らの可能性を過小評価せず、積極的に海外へ出て関わってほしいと思います」


村上は現在、東京北部病院に外科医として勤務しながら、1年のうち2~3カ月をMSFの活動に充てている。これからも体力の続く限りは、そのスタイルを維持していくつもりだ。


「現在の勤務先である東京北部病院は理解もあり、MSFの活動とも両立できています。『こういう働き方もあるのだ』と、自分自身を通じてメッセージを伝えたいですね。若い人たちにも、『自分の人生を使って、世界を変えることは可能』だと思ってもらいたいのです」


最後に、不躾な質問を村上にぶつけてみた。


――今回のように医療施設が攻撃され、ご自身の命が危険にさらされても、ご家族は活動を応援してくれるのでしょうか?


「普段は活動内容を詳しく伝えないのですが、さすがに南スーダンで危険な目に遭ったときは妻にも話しました。妻からは『それがあなたの道なのだから、応援します』と一言。本当に感謝しています」


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