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天井はサラリとすり抜けるのが〝サワコ流〟(鎌田實×阿川佐和子)
恨みつらみを笑いに昇華する
阿川さんも世間に蔓延る男尊女卑とまったく対峙していないわけではない。著書の『強父論』(きょうふろん・文藝春秋)に代表されるように、父親に対する恨みつらみを笑いに昇華しながら書き綴ることで、見事に彼女自身の逞しさを表現している。
いわく、父・弘之さんにとって妻は第一の使用人、娘は第二の使用人だったそうだ。阿川さんは、中学・高校は卓球部、大学はテニス部に所属していたため、休日に練習や試合で家を空けることがあった。試合会場に父親から電話がかかってきて、「すぐに帰ってこい」と言われることもままあったという。
「とにかく君主制なんです。家に帰ったところで何か用事があるわけではない。『控えてろ』と。『おい』と言ったときに『はい』って出てくる娘が理想だったんです」
生前の弘之さんは妻と娘に厳命した。文士が逝くと妻子に対して「1冊書きましょう」という話が必ず来るが、絶対に受けるな。身内が故人を讃えることほどみっともない話はない――。
弘之さんが亡くなったあと、案の定、編集者が阿川さんのところにやってきた。父親から言われたことを伝えて断ろうとすると、編集者は言う。「讃えなければいいんじゃないですか」と。
「なるほど、それはありだなと思いましたね。それで父の悪口だけを綴ったのが『強父論』なんです。よく『なんだかんだ言って、阿川さんはお父さまのことを愛してらっしゃる』なんて言われるんですけど、それはちょっと過大な解釈なんです。率直に思っているのは、父ほどネタになる人材はいないということ。思い出すたびに腹が立つし、本当に酷い目に遭ったんだけど、その1つ1つがネタになるんです。素晴らしい体験や感動的な経験を書いたって、読者の皆さんは喜んでくれませんからね」
阿川さんがあるイベントに参加したときのこと。遠藤周作の息子の龍之介さんと、北杜夫の娘の斎藤由香さん、それから矢代静一の娘の朝子さんが集い、父親の思い出を語るというイベントだった。出てくるのは決まって酷い目に遭った思い出話。結局、酷い目自慢の会になった。
「あるときに父から『遠藤周作や北杜夫の家と比べれば、うちはまだましだよ』と言われてね。母も私も納得したんです。その話をイベントですると、遠藤龍之介さんが『うちも同じことを言ってた。北さんや阿川さんの家よりはましだよ』なんて言うんです。もう笑っちゃいましたよ。みんな同じことを言ってたんです」
先にも触れたけれど、阿川さんのすごいところは、弘之さんに対する恨みつらみを、ただ単に書き綴るのではなく、笑いに昇華するところだと僕は思う。これは誰にでもできる芸当ではない。
40歳を目前に〝全取っ換え〟
かつては仕事に対して受け身だった阿川さんが、突き抜けた瞬間はいつだったのだろう。僕が注目したのは、40歳になる直前に経験した1年間のアメリカ遊学だ。40歳が見えてくる時期というのは、普通であれば腰を据えることを考えるはずだ。なぜ阿川さんは遊学をしたのだろうか。
「そもそも女性キャスターの仕事に一生懸命になれない自分がいたり、犠牲者のお宅に押しかけて、遺族にマイクを向けて話を聞く仕事に疑問を感じていたりして、一度、テレビの世界から離れてみようと思ったんです。ただ、理由がないと仕事を辞めさせてもらえない。それでアメリカへ行くことにしました」
スーツを着る必要もなければ、ばっちり化粧をする必要もないワシントンでの生活。春夏はレギンスにTシャツ、秋冬はレギンスにセーターを着て、ラフに暮らした。特に印象に残っているのは、とあるホームパーティーでの出来事だ。1人のおじさんが阿川さんに尋ねてきた。佐和子は何をしにアメリカに来たのか。キャスターの仕事が合わないと思ったから〝全取っ換え〟をするつもりで来た。そう言うと、おじさんは阿川さんのことを褒め讃えてくれたそうだ。
「日本では『40歳を前にして何を考えてるんだ』と言われたんですけど、そのおじさんはこう言うんです。『それは素晴らしいことだ。人生はいくつになってからでも、全取っ換えが必要なんだ。取り換えたいときに取り換えればいい』って。名前すら覚えていないおじさんだけど、なんかその言葉を聞いたときに涙が出そうになってね。
1年間のアメリカ生活を経て帰国をすると、少しだけ景色が変わっていた。一番大きかったのは、仕事が楽しくなったことだそうだ。『週刊文春』の長期連載「阿川佐和子のこの人に会いたい」が始まったのは、ちょうどアメリカから帰ってきた直後のことだった。
いまの阿川さんを知る人は、冒頭に紹介した彼女自身が若いころの自分について語った言葉をにわかには信じられないはずだ。
「小説家の娘のくせに漢字は読めないし、書けない。常識も知らない。世界のことが何も分からない。新聞も分からない」
長い目で見たときに、これほど〝全取っ換え〟に成功した人も珍しいのではないだろうか。
阿川さんには、実に面白い最近の話もうかがったので、次回も彼女のことを書こうと思う。
(対談の続きは、月刊『潮』2024年11月号をご覧ください)
