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小泉八雲とセツが夫婦愛で紡いだ『怪談』の世界像
「ヘルンさん言葉」で物語を語る
東京に移り住んだのち、セツは古書店を巡っては、八雲が好みそうな怪談や奇談の本を入手しました。それらをあらかじめ読み込んだうえで、夜になると八雲に語るのです。この語りは「へルンさん言葉」と呼ばれる、独特の言葉で行われました。日本語の能力がさほど高くない八雲は普段から、助詞を抜き、動詞や形容詞の活用を省き、語順を英語風にして話していました。一種のピジン語(混成言語)です。普通の日本語では八雲が理解できないため、セツもこの「へルンさん言葉」で物語を語ったのです。
口承文芸は、語り手の気持ちが入ったり、語り手によって語り口が変わったりするところにこそ、本質的な魅力があることを八雲は知っていました。だからこそセツにも、彼女が一度、自分で消化した物語を、自分の言葉で語ってもらうことを望んだのです。
16歳の時に片目(左目)を失明した八雲の聴覚は、一般の人より優れていたはずです。感性も鋭く、耳を澄まして人の話を聞き、想像する力は並外れたものがあったと思います。語り手のセツと聞き手の八雲の優れた力が合わさることで、八雲の名作は生まれたのです。
他方でセツは学歴がないことにコンプレックスを抱いていました。彼女は度々、「私が女子大でも卒業した学問のある女だったら、もっともっとお役に立つでしょうに」と嘆いています。すると八雲は、本箱の自分の書籍を指さし、「誰のお陰で生まれましたの本ですか? 学問のある女ならば、幽霊の話、お化けの話、前世の話、皆馬鹿らしのものといって嘲笑うでしょう」と言い、セツのことを「世界で一番良きママさん」と称賛しました。
セツも八雲への手紙に「セカイ、イチバンノ、パパサマ」と書いています。当時の夫婦で、お互いへの敬意をこのように表現することは珍しかったでしょう。こんなにピュアな愛で結ばれていた二人だったからこそ、すばらしい作品群を生み出せたのだと思います。
「周縁の文化」に目を向け続けた八雲
八雲とセツが松江でともに過ごしたのは、わずか1年3カ月ほどです。八雲が実際に怪談を書いたのは、東京で暮らしていた最晩年の時期です。でもその根っこにあるのは、やはり松江での暮らしだと思います。八雲は松江での日常生活を描いた紀行文も書いています。欧米でロングセラーになったこの紀行文には、怪談話やフォークロアがちりばめられており、都市や街というものは決して眼に見えるものだけでできているのではないことがよくわかります。
八雲はもともとフィールドワークが大好きでした。しかし熊本に引っ越して以降は、フィールドワークをしたいと思うような場所が減り、書斎に籠るようになります。その結果、セツの語りに耳を傾けることが一番楽しい時間になるのです。
都会嫌いな八雲には、東京暮らしも決して心地よいものではなかったでしょう。ただ、どうやらセツは逆だったようです。当時は外国人の妻やその子どもたちは、奇異の目で見られました。田舎ではなおさらです。だから当時の閉鎖的な松江より、自由で匿名性の高い東京のほうが、セツは暮らしやすかったのではないかと思います。
日本は明治時代に古い因習や習俗を捨て、近代化への道をひた走りました。そんな社会のなかで、西洋人である八雲は、日本人が切り捨てようとしていたものを愛し、絶対に捨ててはいけないと言いました。彼はキリスト教より、日本のアニミズム(人間以外の生物を含む、すべての物の中に魂が宿っているという考え方)を評価していました。
日本に来る前には米ニューオーリンズでブードゥー教に惹かれ、ゾンビという言葉を世界に紹介しています。彼は常に「周縁の文化」に目を向け、その中にこそ人間の本質があると感じていたのです。八雲はギリシャ系アイルランド人で、左目を失明しています。学歴もなく、両親の愛情も受けられずに育ちました。彼自身が社会的に周縁の人であり、同じ周縁の人々への共感が、名作を生み出したのだと思います。
私は以前、作家の大江健三郎さんから「私がノーベル文学賞を受賞したことと、あなたのひいおじいさんの再評価は関係が深い」と言われたことがあります。よく意味がわからず「どういうことですか?」と尋ねると、彼は「答えは周縁性です」と言われました。
大江さんの少し前、少し後の受賞者をみると、カリブ海のセントルシアや、北アイルランドの出身者、つまりクレオール文化やケルト文化の発信者です。そして大江さんは日本人です。
八雲は2歳から13歳までの多感な時期をアイルランドで過ごし、アメリカのニューオーリンズやカリブ海のマルティニークで多彩な世界観を包み込む混淆文化(クレオール文化)に魅了され、そのあと日本へやってきました。つまり八雲は、これら三つの周縁的文化をすべて経験したわけです。
大江さんは「これからの時代は歴史の表舞台ではなく、周縁で日の目をみない文化に耳を傾け、学んでいくことが大事です」と言われ、目から鱗が落ちました。八雲の怪談文学も、まさに周縁の文化です。
