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【特別公開】佐藤弘夫の新連載 第1回:自然と共に生きるアイヌ文化の精神
死生観というレンズで現代を照らす新連載。第1回は北海道・美幌峠――1986年に一度だけ復活したアイヌの「キタキツネのイオマンテ」を訪ね、万物に魂が宿る世界観と“命は命によって生きる”という真理を辿る。気候危機と分断の時代に、人と自然、他者が交わる尊さを学び、近代の〈所有〉観を問い直す旅へ。
(月刊『潮』2025年12月号より転載。写真は編集部撮影。)
死生観というレンズを通して現代社会を見る
気候変動という地球規模の課題は、毎年夏を迎えるたびに、激甚化・頻発化する水害に遭うたびに、私たちに現実を突きつけます。その一方で、人間社会に目を向ければ、自らが信じる正義を声高に叫ぶ者同士の対立があとを絶たず、残念ながらいまだに国家間の争いが止むことはありません。
私はこれまで、日本中世史や日本思想史という分野を足場に、国内各地の山を歩き、霊場を巡りながら、この列島において脈々と受け継がれ、変化してきた死生観についての探究を続けてきました。
読者の方にはいまさら言うまでもなく、月刊『潮』は創刊から65年という歴史ある総合雑誌です。そんな『潮』で新たに始まるこの連載では、死生観というレンズを通して、日本国内の各所を訪れ、さまざまなモノに触れることで、歴史という地図の上に現代社会を位置付けてみたいと考えています。
私が山を歩いたり、霊場を巡ったりするときは、基本的にはいつも一人です。自然が放つ"メッセージ"を五感のすべてで受け止め、その場所の歴史に思いを馳せて、そこでかつて暮らした人々がどのような死生観を持っていたのかを想像します。読者の皆さまにも、どうか私が訪れ、見聞きし、触れた場所やモノを、この連載を通して追体験していただければ嬉しく思います。あるいは、紅葉の時期や桜の季節に、本連載で取り上げる場所を、『潮』を片手に訪れてみても面白いかもしれません。
20世紀という争いの時代を経て、人類は多様性という知恵にたどり着きました。自分が信じる正義を声高に叫ぶ時代は、そろそろ終わりにしてもよいのではないでしょうか。自分と意見が異なる人をいたずらに非難するのではなく、多様な思想や価値観から学んで、静かに自分自身の生き方を変えていく。そして、自らの振る舞いによって信頼や共感の輪を広げていく。この連載が、そうした一人の人間の地道で偉大な営みの一助になれば、筆者としてそれ以上の喜びはありません。

1986年にイオマンテが行われた美幌峠に立つ著者。眼下には屈斜路湖が広がる。
1986年に復活したアイヌの幻の儀式
観測史上最も暑くなった今年の夏。私は7月3日に北海道・女満別空港(大空町)に降り立ちました。年間を通じて涼しいはずの道東ですが、その日の最高気温は33度――。本州のような湿度は感じないものの、数字だけを見ると隔世の感が否めません。 薄曇りの空のもと、小さなレンタカーを走らせます。目的地は観光客に人気の美幌峠。日本最大のカルデラ湖として知られる「屈斜路湖」を見下ろすことができるスポットです。空港からは車で40分程度で到着します。約35kmの道のりですが、信号は一つもありませんでした。 屈斜路湖も眺めましたが、目的は他にありました。1986年にこの地で一度だけ復活したアイヌの幻の儀式「キタキツネのイオマンテ(霊送り)」の痕跡を探ることです。私がこの儀式に関心を持ったのは、友人の映画監督・北村皆雄さんの作品『チロンヌプカムイ イオマンテ』(2021年)を見たからです。 儀式が最後に行われたのは、いまから100年ほど前の大正期。1986年に復活したということは、60年から70年ぶりです。 祭祀を司ったのは明治末期の1911年に生まれた日川善次郎というエカシ(長老)で、子どもながらに参加したかつての伝統儀式を蘇らせます。 よく知られるイオマンテではクマの子どもが生贄となりますが、このときはキツネの子どもが神の国へ送られました。家族のように大事に育てたキツネの子に矢を撃ち込んで殺害し、皮を剥いで頭蓋骨を祀るのです。その間、儀式に参加するアイヌによってカムイノミ(神への祈り)が唱えられ、ウポポ(歌)とリㇺセ(踊り)が捧げられます。 北村さんの映画は、そのときに撮影された映像を35年ぶりに編集して公開されたものです。拝見したときに"いつか儀式の舞台となった美幌峠に足を運んでみたい"と思い、今回ようやくそれが実現しました。