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【特別公開】佐藤弘夫の新連載 第1回:自然と共に生きるアイヌ文化の精神

非常に洗練されたアイヌの動物供養

映画の記憶を頼りに美幌峠を歩いてみると、約40年前にイオマンテが行われた場所は、当時とほとんど変わらないままで残されていました。この地でキツネの子は矢で仕留められて、神の国へと送られたのです。 伝統的な儀式とはいえ、ほとんどの人はそこに残虐性を感じるのではないでしょうか。もしもいま同じことが行われれば、悪しき伝統として各所から非難されるはずです。しかし、ここではあえて現代的な価値観や倫理観で評価や判断を下すことはせず、かつてのアイヌの人々の世界観を覗いてみましょう。 アイヌの人々は、動植物はもちろん、火・水・風・雷などの万物には魂があると考え、それらを「カムイ」と呼びます。「カムイ」は日本語で一般的に「神」と訳されます。カムイは普段、魂だけの状態で天上の世界にいるのですが、子孫を残したり人間と交渉したりするために、肉体をまとって地上に降りてきます。 "人間との交渉"とは、動物であれば人々に食物として肉を捧げたり、着物として毛皮を捧げたりすること。その代わりに、人間の側はヤナギなどの植物で作られたイナウ(木幣)という祭具や、お酒、米の団子などを用いて、丁重に動物の魂を天に送り返す。この動物の魂を神の国へ送り返す儀式がイオマンテと呼ばれています。 動物供養の儀式はアイヌに限らず、世界各地に存在しています。日本国内においては、江戸時代の菅江真澄すがえますみという博物学者が長野・諏訪大社の御頭祭おんとうさいで75頭の鹿の頭が捧げられる様子を記録しています。現在の御頭祭では鹿の剥製が用いられているようですが、北村さんは菅江のこの記録をもとに『鹿の国』(監督:弘理子、2025年)という映画を制作しています。あるいは、国外に目を向けると、私が実際に見たことがあるのは、インドのヒンドゥー教の儀式です。それはヤギが生贄となり、頭を切り落とされる儀式でした。 これらの他の動物供養と比べて、イオマンテが持つ魂の国と人間の世界との往復というストーリーは、非常に洗練されていると私は感じています。そして、このストーリーから現代を生きる私たちが学べることは何かというと"生き物は他の命を奪わなければ生きていけない"という、いまも昔も変わらない普遍の真理ではないでしょうか。命とは、動物に限らず、植物にも備わっています。

  • ヌサ(アイヌの祭壇)

    ヌサ(アイヌの祭壇)で、さまざまな形状のイナウが使用されている

人間と他の生命の殺し・殺される関係性


かつてのアイヌは狩猟民族だったので、クマやキツネを狩らなければ生きていけませんでした。私は、その他の生き物の命を奪うことの重みを自覚するために、アイヌの人々があえて、大切に育てたクマやキツネの子どもを殺害するという、残虐な儀式を行っていたのではないかと思うのです。


現代の日本において、動物の肉を食べる際に、生きている家畜や魚を自宅でしめて、解体したり下ろしたりする人はほとんどいないはずです。近くのスーパーできれいに包装されたものを買ってくるのが日常の光景でしょう。しかしそれでも、動物の命を奪っていることに変わりはありません。


ご存じの方も多いと思いますが、『もうじきたべられるぼく』(中央公論新社、2022年)という絵本があります。肉用牛として育てられた牛が、草原を走り回る馬や、動物園で子どもたちに愛される動物に憧れを抱きながら、出荷される前に自分の母親に会いに行くという物語です。


2022年8月の刊行から3年余で、27万部の発行部数を突破(2025年8月時点)し、関連の楽曲や塗り絵なども販売される人気ぶりです。この作品の最後は、主人公の「ぼく」の次の言葉で締めくくられます。「せめて ぼくをたべた人が 自分のいのちを 大切にしてくれたら いいな」――。動物と人間の命を等価のものとして扱う"まなざし"は、アイヌの儀式に通底するものがあるように思えてなりません。


イオマンテをはじめとする動物供養は、現代においてはその残虐性ばかりに注目が集まりがちですが、例えば、19世紀の北米大陸で開拓者たちによって行われたアメリカ・バイソンの乱獲とはまったく価値観が異なります。


開拓者による狩猟は、はじめこそ食肉や毛皮が目的でしたが、ある時期からは狩猟そのものが目的化し、仕留めた頭数を競い合うような人々もいたようです。同じ動物の殺害といっても、アイヌのそれとはまったく異なる"文明が持つ暴力性"を感じるのは私だけではないはずです。


近年の日本では、各地でクマによる被害が出ており、害獣として駆除されるたびに抗議が行われたりしています。私は、人間が危険に晒されてはならないとも思いますし、無暗にクマを駆除すればいいとも思いません。クマを処分するか否かは、あくまでケースバイケースであり、完全な正解はないと考えています。


ただし、死生観という面から言えることが一つあります。それは、人間と生き物は互いに殺し・殺される関係にあるということです。だからこそ、私たちは常に命と向き合う必要があるのだと思います。


  • ユックオハウ(鹿肉のスープ)の定食

    ユックオハウ(鹿肉のスープ)の定食

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