ガラパゴスで自然と動物の“完全調和”に打たれ、動物写真家の道を選んだ岩合光昭さん。ライオンから路地裏のネコまで心を通わせ、待ち続けて掴む一枚の哲学を語る。
(月刊『潮』2025年7月号より転載)
******
人生の転機となったガラパゴス諸島
僕は、動物写真家である父(岩合徳光氏)に誘われ、中学生のころから日本各地の撮影に同行していました。
人生の大きな転機となったのは、大学2年生、19歳のとき。赤道直下のガラパゴス諸島まで、父の助手として連れて行かれたのです。父から事前に「ガラパゴス諸島に関する本を読んでおくように」と言われました。そこで「進化論」で有名なチャールズ・ダーウィンが書いた『ビーグル号航海記』を読みました。1831年から36年にかけて、ダーウィンはイギリス海軍の測量艦・ビーグル号に乗って世界中を調査します。旅行記には、ガラパゴス諸島にイグアナやゾウガメなど見慣れない奇異な動物たちがたくさんいると書かれていました。
実際にガラパゴス諸島に上陸してみると、岩場にいるイグアナは奇異であるどころか、自然と見事に調和しています。陽が昇って暖かくなると、海に潜って海藻を食べる。おなかがいっぱいになると、再び岩場に登ってきて日なたぼっこと甲羅干しをする。イグアナの一連の動きは自然と完全に一体化していて、まるで不自然なところがありません。
「この島では、真っ赤なジャケットを着て歩く観光客、ヒトのほうが奇異な動物なのだ」と感じました。
ガラパゴス諸島では、オンボロなヨットに乗って島々を巡りました。朝起きると、眠気覚ましにドボンと海に飛びこみます。海に潜ってしばらく泳いでいると、誰かが僕の肩をトントンと叩きました。パッと振り向くと目の前にオスのアシカの顔があり、まるで話しかけるように前ヒレで僕の肩を叩いているんです。ビックリしましたが、不思議とまったく恐怖感は抱きませんでした。
陸に上がって水平線を眺めていると、太平洋の海が大きくうねります。「波のうねりがめくれる場所があるな」と気づいた瞬間、アシカがサーフィンをして遊んでいる様子が目に飛びこんできました。アシカのボディラインが見え隠れしながらスーッと波がうねる様子を見たとき「ああ、なんて美しいんだ」と胸を打たれました。
海鳥たちは手が届く距離で巣を作っています。卵が割れ、雛がかえる瞬間も自分の目で見ることができました。
憧れのLAを超えたガラパゴス諸島の魅力
滞在日数はガラパゴス諸島には2週間ほど、帰りにアメリカ西海岸のロサンゼルスに2日間の予定でした。実は当時僕が楽しみにしていたのは、ガラパゴス諸島よりもロサンゼルスのほうだったんです。(笑)
1950年生まれの僕にとって、60年代終わりのアメリカは憧れそのものです。映画や音楽でイメージしてきたアメリカ、それもLAで過ごすのを首を長くして待ち焦がれました。
ところが実際にLAに足を踏み入れてみると、まるで駅のプラットホームにたたずんでいるように味気ないんです。
東京に帰ってからも、LAのことは全然頭に浮かびません。思い出すのはガラパゴス諸島のことばかり。岩場が多いガラパゴスを見た人間は「荒涼とした土地だ」と言うのかもしれません。しかしイグアナたちがいる岩場は「荒れ果てて寂しい場所」とは対極的です。イグアナは岩場でごく自然な営みをし、ありのままの姿で自分の時間を過ごしていました。
こうした自然の姿を垣間見られる経験が、いかに素晴らしいか。頭で知識を得るのではなく、目の前の自然の営みを体全体で感じていく。そんなガラパゴス諸島での経験に魅了されていたのです。
実は高校生のころ、僕は「将来はファッションの道に進みたい」と漠然と思っていました。19歳のときにガラパゴス諸島に行かなければ、大学を卒業してからファッション系の世界へ飛びこんでいたかもしれません。父とガラパゴス諸島を訪れたことが、僕の人生を大きく転換するきっかけとなりました。

ネコを撮影する岩合さん ©︎Machi Iwago
足が震えたライオンとの遭遇
ヒトの鋤や鍬が加わっていない土地に行くと、自分の小ささを感じると同時に、地球の大きさをあらためて痛感します。人間の非力さを思い知り、自然を全身で受け入れられるようになるのです。
初めてアフリカに行ってライオンの大きな足跡を見たとき、自分の小ささを感じて足が震えました。風がビュービューと吹きつけ、自分の体に当たるたびに、人間もまた1匹の動物なのだと実感します。アフリカの原野でライオンと同じ場所に立ちながら「車の窓など簡単に破られてしまうかもしれない」という恐怖感と、百獣の王への畏怖の念が同時に心の中に湧き上がってきました。
アフリカで遭遇するライオンは、当然のことながら檻の中になんて入っていません。その辺を平然と歩いており、興味をもって車にどんどん近づいてきます。
1日目はライオンと出会うたび動揺しましたが、2日目からは「これが当たり前なのだ」と心のスイッチを切り替えました。ライオンが車のすぐそばまでやってきても、ごく自然に「僕は彼らの世界にお邪魔させていただいている」と敬意をもって接していきました。
北極圏にはホッキョクグマが生息しています。ホッキョクグマはクマの中で体が世界一大きく、体長は2.5〜3m、体重は500〜600kgです。
ホッキョクグマが街に現れると、ヒトを襲わないように麻酔銃で撃たれます。頑丈なネットでホッキョクグマを包むと、川を一つも二つも隔てた遠いところまでヘリコプターで運んでいくのです。
人間はホッキョクグマを「とても危険な動物だ」と恐れ、街から排除して遠くに追い出してしまいます。ただ、ホッキョクグマにとっては、そこはもともと自分たちがいた場所です。あとから移り住んできた人間が、先住民である動物を排除してしまう。ホッキョクグマがヘリコプターで遠くに連れて行かれる姿を見ながら、悲しい気持ちになりました。
マイナス30度の北極圏で生きるホッキョクグマの姿は、この世のものとは思えないほど神々しく美しいのです。初めて見た子グマはあまりにかわいらしく「子グマは世界一かわいい動物」だと思ってしまったほどです。ただし僕は、野生動物に対して長らく「かわいい」という言葉を使ってきませんでした。野生動物を「かわいい」と言うのは、動物をどこか下に見ているような、思い上がったおこがましい態度だと感じていたんです。
しかし、オーストラリアでコアラを撮っていたとき、現地の女性がコアラを指さして「Kawaii」と日本語で言っているのを聞き、驚いたことがありました。今や「Kawaii」は世界共通語です。愛くるしいコアラを自然な形で「Kawaii」と称するヒトに出会ったとき、僕の中で「かわいい」という言葉に抵抗感がなくなりました。動物と自然を愛する気持ちさえあれば、「かわいい」という言い方は上からの目線ではなくなることに気づいたのです。
そこで昨年、オーストラリアのクオッカ(小型のカンガルー)や丸顔のウォンバット、コアラを撮影した写真集『Kawaii』を出版しました。
『Kawaii』クレヴィス/定価1650円
自然に溶けこんで待つシャッターチャンス
ライオンは1日のうち18時間から20時間も寝ています。観光客がサバンナを車で走っているとき、ライオンは寝ていることがほとんどです。観光客がライオンを見ている時間は、だいたい10分から15分ぐらいしかありません。寝ているライオンを30分以上も見ている人は稀です。ほとんどの観光客は「ライオンは寝ているからキリンを見に行こう」とすぐに移動してしまいます。
僕がライオンを撮影するときは、丸一日ずっと一緒に過ごします。ライオンが実は寝ているフリをしていることに気づいたときもありました。観光客がエンジンを鳴らしてその場から去ると、10分ぐらい経ってからいきなりパッと立ち上がるのです。
目をつむりながら耳で地面の音を聞き、体に吹きつける風を感じる。獲物が近づいてくれば、鼻が匂いを察知します。寝ているライオンが片目を開けてパッと空を見上げると、高い場所でハゲワシが飛んでいるのです。自然の中のあらゆる動きが、ライオンの「生きる」に繋がっているのだと感じました。
1日中ライオンを眺めていると、まるで自分自身がライオンになったかのように、気持ちが一体化していく感覚を覚えます。シマウマの群れが現れると、「やった! 今日の獲物が見つかった!」と、思わずライオンを応援してしまいます。その時点では完全にライオンに同化しているのですが、実際にライオンがシマウマに忍び寄り、爪でお尻を引っかいた瞬間、今度は自分がシマウマになったかのように、「痛い!」と、その痛みを体で感じるのです。ライオンとシマウマの闘いを撮影する際には、ライオンだけでなく、シマウマの気持ちにも思いを巡らせなければ、両者を平等に捉えることはできません。自然と一体にならなければ、本当の写真は撮れない――そんな実感があります。

シマウマを狩るライオン ©︎Mitsuaki Iwago
マダガスカルでシファカというキツネザルと遭遇したとき、シファカのほうからどんどん僕のほうへ近づいてきました。そのおかげで、手が届く至近距離で撮影できたのです。現地のガイドは「どうしてこんなにシファカに近づけるんだ」と驚いていました。
シファカを撮影するために、僕は何もアクションを起こしていません。自分からは体を動かさず、ただ見ていただけです。そのおかげで「こいつはほかの人間とは違う。なぜ動かないんだ」とシファカのほうから僕に興味をもちました。
自然や動物の中に溶けこむのは簡単ではありません。長い時間がかかり、肉体的にはとてもハードです。自分の内懐を正直に表に開放し、陽の当たり具合、風の吹き具合に合わせて「無」の境地で体を動かす。そうすれば動物の側も、正直に内懐を人間に開放してくれます。
人間と同じようにネコと心を通わせる
僕のライフワークであるネコの撮影では、何を撮ろうか事前にはまったく決めません。朝からノープランで撮影に臨みます。ヒトがゆったり過ごしている地域では、ネコも似たようなスピードでゆったり暮らしているのです。その間合いを崩すことなく、ネコとの距離感を慎重に測ります。
じっとネコを観察していると、好みの散歩コースが見えてきます。真っ直ぐに歩いてくる姿を撮りたいときは、家の前で帰りを待ち構えます。すると真正面から堂々とネコの顔が撮れるのです。
「自分が何を撮りたいか」ではなく、ネコの行動パターンに合わせてシャッターチャンスを見いだす。こちらファーストではなく「キャット・ファースト」を心がければ、絶妙なショットが撮れるのです。
寒い日の撮影で、ネコの帰りを待っていたときがありました。体が冷えないように陽だまりで這いつくばってカメラを構えて待っていたところ、背中に何かが乗っかった感触がありました。見ると、寒さをしのぐために、僕と同じく陽だまりを求めてやってきたネコが、肉球を冷やさないようにと、僕の背中で暖を取っていたのです。
ネコはわがままな人間とは違って、先に陣取っている動物に占有権を認めてくれます。30分経つうちに背中のネコは3匹に増え、1時間経つころには僕の背中に5匹のネコが乗っていました。
都会のネコだとこうはいきません。東京のヒトはものすごいスピードでせわしなく動き、ネコの動きは人間以上に機敏です。東京のネコは非常に用心深く、めったなことでは人間に近づいてきません。
田舎のネコは最初は人間を警戒するものの、背中に乗っかってくるほど仲良くなれる可能性もあります。いったん人間から逃げたあと、途中で止まってこちらを振り返る子もいます。「なんでこいつは僕についてこないんだ」と興味をもってもらえれば、こっちのものです。そこから時間をかけてお互いの距離を詰め、ありのままのネコの写真を撮ります。
人間同士の関係性も同じではないでしょうか。最初はとっつきにくく気難しいヒトでも、話しているうちに気心が知れて仲良くなれます。人間とネコの関係もそれと同じなんです。「ここであなたを撮らせてください」と誠意をもってお願いし、ネコの暮らしに溶けこめば、ネコは絶妙なシャッターチャンスを人間に与えてくれます。
大型ネコ科動物から家ネコの先祖を辿る
今年に入ってから、南米のパタゴニアでピューマを撮影しました。ピューマはアメリカで「マウンテンライオン」と呼ばれ、ライオンと生態がよく似ています。ピューマをはじめ、ライオンやチーター、トラ、ヒョウなどは、いずれも大型のネコ科動物です。家ネコもこれらの大型動物と同じネコ科に属しています。もともと、ベンガルヤマネコという野生のネコが家ネコ化し、人間と暮らすようになりました。世界中の家ネコの毛は、ベンガルヤマネコと同じキジトラ模様が最も多く、キジトラのネコは先祖の特徴を色濃く残しているのでしょう。小さな家ネコも、大型のネコ科動物も、ルーツはおそらく同じところにあるはずです。ピューマの動きを見ていく中で、身近な家ネコの先祖が浮かび上がってくるとしたら、すごく面白いことです。そんなことを考えながら、ずっと大型のネコ科に興味をもっています。
『潮』での僕の連載「動物シリーズ」は、15周年を迎えました。
僕の写真から読者の皆さんが何かを感じていただくことは、とてもありがたく励みになります。読者が何も感じない写真であれば、撮影している意味なんてありません。裏を返せば、撮影者は何かを感じないとシャッターを切ってはいけないんです。撮影者が自分の内懐に感じるものがあるからこそ、シャッターを切った瞬間に驚きと発見が写真に投影される。
豊穣な自然の雄大さ、そして動物たちの魅力的な姿を読者の皆さんと一緒に感じていけるよう、僕はこれからも写真を撮り続けていこうと思います。
******
動物写真家
岩合光昭(いわごう・みつあき)
1950年東京都生まれ。世界各地で野生動物や大自然、身近な犬や猫を撮影し続け、日本人として初めて「ナショナルジオグラフィック」の表紙を二度飾るなど、世界で活躍している。2012年からドキュメンタリー番組「岩合光昭の世界ネコ歩き」(NHK)が放送中。著書に『岩合光昭の世界ネコ歩き ヨーロッパの空の下』『Kawaii』など多数。岩合光昭オフィシャルサイト https://iwago.jp/