元外務省主任分析官の佐藤優が語る必読の公明党論――池田先生の師弟の精神と信仰を基盤に、福祉・平和で社会を変える「政治家の境涯革新」戦略を解説。少数与党となったいま、公明党が果たすべき役割とは。
(月刊『潮』2025年6月号より転載)
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公明党の原点 東京都議選
先の衆議院総選挙(昨年10月27日投開票)で、公明党は24議席を獲得しました。選挙前の32議席から8議席減らしたことにショックを受けている人もなかにはいるかもしれませんが、私が知る創価学会員は皆さん元気いっぱいです。「我々は負けなかった」と自信をもって胸を張り、信心への確信を深めていました。
選挙の1週間前、NHKは公明党の議席が15と予想しています。ところが結果はNHKの予想より9議席も上でした。これは創価学会員の信心の力にほかなりません。自民党に対する世間の逆風がもう少しだけ弱かったなら、公明党は32議席を維持したでしょう。
創価学会員に敗北感や無力感はありません。選挙に負けた地域の学会員は悔しいに決まっていますが、それでも「自分たちは出せるだけの力を出し切った」と確信しているはずです。その後、激戦だった北九州市議選(今年1月26日)で公明党は全勝しました。(13議席を獲得)
「創価学会文化部」が初めて選挙に挑戦したのは、1955年4月の統一地方選挙です。東京都議選では、大田区で出馬した創価学会員が初当選を果たしました。この大勝利を起点に、池田大作第三代会長によって公明政治連盟が結成され(61年11月)、公明党が結党されたのです。(64年11月)
選挙の戦いとなると、学会員の皆さんはおのずと力が入ります。一人でも二人でも仲間を増やし、ほかの候補者を寄せつけず大勝利する。来る東京都議選(6月13日告示、22日投開票)、また7月の参議院選挙での公明党の大勝利を私は確信しています。
都議会公明党と宴会政治の打破
2023年末に噴出した自民党の裏ガネ問題は、連立与党のパートナーである公明党にとって迷惑なもらい事故でした。裏ガネ問題の本質は、飲み食いをめぐる自民党の文化だと私は見ています。
首相官邸や国会議事堂のすぐ裏にある五つ星のホテルで、牛丼がいくらすると思いますか。なんと5800円(税・サービス別)です。夏季限定のメロンかき氷はいくらか。4800円(税・サービス別)です。後援会の幹部10人に牛丼とかき氷をセットで振る舞えば、約12万円かかります。社会通念を逸脱しているこのような飲み食いは、政治資金収支報告書に書きづらい。だから帳簿外の裏ガネで処理してきたのではないでしょうか。
結成後に初めて臨んだ東京都議選(63年4月)で、公明政治連盟は17の議席を獲得して都議会第3党に躍進しました。すると公明政治連盟は「宴会政治の打破」を掲げて戦います。
〈議会の委員会終了後、また管外視察後に「一席」設けられるのがお決まりだった〉〈当時の金で、ひと晩でざっと50万円からの、都民の血税が宴会につぎ込まれていた〉(『大衆とともに 公明党50年の歩み』増訂版、45㌻)
公明政治連盟の戦いによって、税金を使った悪しき宴会政治の伝統は撤廃されました。
私たちは裏ガネ問題の本質に目を向けなければなりません。5800円の牛丼や4800円のかき氷をおごってもらえたら、いい気分になって選挙活動をがんばれる。こうした心のありようと境涯を変えなければならないのです。
自民党と公明党は選挙のたびにお互い協力し、国会においては政策実現に向けて協力してきました。単に一緒に仕事をするだけでなく、価値観のレベルで自民党に感化を与える公明党の努力が、少し足りなかったのかもしれません。「我々は何のために政治をやるのか」という心のありように踏みこんで公明党が感化を与えていかなければ、裏ガネ問題は永遠に打破できないのです。
「一〇三万円の壁」所得税控除の問題点
今年3月、「一〇三万円の壁」問題に国会で決着がつきました。課税最低限の年収を160万円に引き上げ、なおかつ年収850万円以下の人には基礎控除を上乗せする形で決着しています。(1兆2000億円の減税が実現)
国民民主党は「課税最低限の年収を178万円まで引き上げろ」と突っ張ってきましたが、最終的に自民党と公明党との話し合いで妥協しました。率直に言って、国民民主党は選挙目当てのポピュリズム(大衆迎合主義)に走りすぎです。非課税の年収を178万円まで一律に引き上げれば、年間7~8兆円も税収が減ります。そのぶんの財源をどこから確保するのか、妙案がないまま「178万円」「178万円」と連呼するやり方は無責任です。
それに年収178万円の人が非課税になったからといって、178万円の収入で生活していけるのでしょうか。「一七八万円の壁」の次は「二五〇万円の壁」、その次は「四〇〇万円」「五〇〇万円」……と非課税枠を引き上げ続ければ、税収はどんどん減っていきます。これでは社会は回りません。
私が公明党に期待するのは、税制の抜本的改正です。今の税制は、お父さんが働いてお母さんは専業主婦であることを前提として設計されています。専業主婦が隙間時間を使ってパートで働く仕事に、控除が設けられているのです。
今はお母さんが専業主婦である家庭は標準的ではありません。夫婦共働きの家庭もあれば、シングルマザーの家庭もあります。ならば思いきって所得税の控除を廃止したほうが、時代に即しているのではないでしょうか。控除を撤廃し、所得に応じて税金は皆に平等にかける。そのうえで「これだけの収入では健康で文化的な最低限度の生活が営めない」という家庭に手厚く給付するのです。
学生に所得税の控除(勤労学生控除)を設ける必要もないと思います。大学の進学率は6割です。残り4割の若者のなかには「マンガ家になりたい」「音楽家になりたい」「イラストレーターになりたい」と夢見て、アルバイトをしながら一生懸命勉強をしている人がいます。こうした若者の控除率は、一般労働者と同じです。つまり学生の所得税を控除する制度は、そもそも平等ではないのです。
働いたぶんはみんな平等に税金を払ってもらう。そうすれば「財源が足りない」という政治家の言い訳は通用しません。控除制度を抜本的に見直し、そのうえで給付制度をきちんと整えてセーフティネットを強化する。公明党が旗振役となって、税制全体の設計を整備してほしいと期待します。
斉藤鉄夫代表と池田先生の出会い
1969年11月、政治評論家の藤原弘達が『創価学会を斬る』という本を出版しました。あからさまな選挙妨害に創価学会と公明党が抗議すると、藤原側が猛反発して言論問題が勃発します。(私が見るに、あの本は今で言うヘイト本ですから、当時の抗議は言論妨害でも何でもありません)
あの一件以降、公明党は「行き過ぎた政教分離」を進めてきました。公明党議員が信仰の師匠である池田大作先生について対外的に「池田先生」とは呼ばず、創価学会について腫れ物に触るような扱いをしてきたのです。
山口那津男・元代表の時代に「行き過ぎた政教分離」ははっきり克服されました。党創立50周年の節目にあたる2014年10月、公明党は『大衆とともに――公明党50年の歩み』という党史を出版しています。巻頭グラビアの1ページ目には、年輪を刻む秋田杉の写真が掲載されました。2ページ目には〈池田大作公明党創立者(創価学会会長=当時)〉というキャプションとともに、池田先生の写真が大きく掲載されています。
公明政治連盟と公明党の創立者が池田先生である事実が、党史の巻頭ではっきり記されました。
幼いころ創価学会に入会した山口さんは、高校生時代に任用試験(創価学会の教学試験)の勉強を始めます。すると仏法用語の意味がわからないどころか、漢字もほとんど読めない人たちが一緒に勉強会に参加していることに驚きました。こうした経験を通じて、山口さんは創価学会の信仰の素晴らしさに目覚めていくのです。
斉藤鉄夫代表も、強い信仰心をもつ創価学会員です。高校生時代、斉藤さんは広島で池田先生との記念撮影に参加しました。
「先生が高等部に向けて"一人も残らず、石にかじりついても勉強し抜いてほしい。この中から、やがて大政治家も、大学者も、大科学者も出てほしい"とおっしゃって、私は"よし、大科学者になる!"と誓ったんです」(「パンプキン」2024年10月号)
博士号を取得して「大科学者」への道を歩みかけていた途上で、斉藤さんは政治の世界に転身しました。斉藤代表は堂々と「池田先生」と呼んでいます。信心がしっかりした山口さんや斉藤さんによって、公明党の「行き過ぎた政教分離」は是正されてきました。
パンプキン2024年10月号掲載の記事 肩書は掲載当時
公明党支援は「信心即生活」
公明党が「行き過ぎた政教分離」を克服するとともに、創価学会も「行き過ぎた政教分離」を克服しています。昨年6月に開かれた本部幹部会で、創価学会の原田稔会長は次のように語りました。
〈創価学会として文化部による政治進出に挑んでいた当時、戸田先生は支援活動の意義を、3点にわたり論じられました。
1点目に、それは仏縁を結ぶ下種活動であり、功徳を積みゆく、自分自身のための宿命転換の戦いである。
2点目に、組織の最先端まで見えるようになる、個人指導・訪問激励の戦いである。
3点目に、決して"数"で功徳が差別されるのではなく、一人一人が自身の持てる力を悔いなく発揮し、すがすがしい気持ちでやりきれるかどうかの戦いである。
こう振り返ってみたとき、支援活動は決して"普段と一線を画す活動"ではなく、同一線上にあるものであり、「信心即生活」という私たちの信条が、政治という一分野において実践されるものにすぎないことが分かります〉(「聖教新聞」2024年7月6日付)
創価学会の会合で選挙についてここまではっきり言えるようになったのは、創価学会が強くなったからです。創価学会は「行き過ぎた政教分離」を克服し、誰にも遠慮せず堂々と公明党の支援活動ができるようになったのです。
石破茂首相と池田大作先生
昨年10月1日、石破茂首相が誕生しました。首相就任直前の9月28日、石破さんは自民党総裁として公明党大会に出席し、次のように挨拶しています。
〈大衆の中に生まれ、大衆の中に生き、大衆の中に死んでいく。私たち自民党はともすればそのことを忘れることがあるのかもしれません。常に常に一人一人の人たちの声に耳を傾け、悲しんでいる人がいたら「どうしたの」と言って声をかけてあげる。そしてそういう人たちが日本に生まれてよかった。この地域に生きてよかった。そういう幸せを実感していただけるように、私どもは最善をつくしてまいります〉
〈歴史を変え、国を変えるのは、決して都(みやこ)の偉い人ではない。歴史を変え、国を変えるのは、常に庶民、大衆であると信じております〉
石破首相について「憲法改正について勇ましい論者だから、どうも我々とは波長が合わないのではないか」と思っている創価学会員もいるかもしれません。
この挨拶を見ればわかるとおり、石破首相は〈大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆のために戦い、大衆の中に入りきって、大衆の中に死んでいく〉という池田先生の言葉(公明党の立党精神)を念頭に置きつつ、自分なりに咀嚼して〈大衆の中に生まれ、大衆の中に生き、大衆の中に死んでいく〉と言い換えているのです。
挨拶の中で石破首相は「池田先生」という敬称を用いました。
〈昭和46年の2月の14日のことであったと承知をいたしておりますが、岡山におきまして、党の創設者であられます池田先生御臨席の下に中国文化祭が開かれたそうであります。うちの父が(鳥取)県知事として、そこにおじゃまさせていただき、創立者とお話をさせていただいたと、そういうような御縁をいただいております〉
他の政治家が池田先生に言及するときは「池田名誉会長」と呼んできました。自民党総裁が池田先生の固有名詞に言及するのは異例ですし、しかも「池田先生」という敬称で呼んだことも異例です。
「信心即生活」選挙と信仰の功徳
石破首相があえて「先生」という敬称を使ったのは、石破首相自身が強い信仰心をもっていることと関係しています。石破首相は日本基督教団の熱心なプロテスタント信徒です。彼は信仰者として、創価学会の内在的論理をよく理解しています。なぜ創価学会員の皆さんが献身的に政治活動に取り組むのか。その理由が「信心即生活」であることもよくわかっています。だから自然な形で「池田先生」と呼べるのです。こういう宗教家が首相を務めている日本の政治に、私たちは悲観する必要はありません。
信仰者である石破首相には、核廃絶の一歩前進も期待できます。広島市で中高生時代を過ごした斉藤鉄夫さんは、核廃絶に並々ならぬ思いを抱いだいてきました。斉藤代表は石破首相に「日本は核兵器禁止条約にオブザーバー国として参加するべきだ」と訴えています。公明党代表がこういう話を首相と率直にできるようになった結果、近未来に核禁条約へのオブザーバー参加が実現するかもしれません。
学会員の選挙運動によって日本と世界の平和が強化され、福祉が強化されて大衆の幸せにつながる。これは功徳そのものです。皆さんは堂々と「選挙には功徳がある」と言っていこうではありませんか。
まずは東京都議選で公明党の22人の候補が全員勝利する。そして続く参院選でも大勝利する。私も公明党を全力で応援します。
(4月5日、東京都大田区で開かれた「潮」文化講演会をもとに加筆)
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作家・元外務省主任分析官
佐藤 優(さとう・まさる)
1960年東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕。05年、『国家の罠』(毎日出版文化賞特別賞)で作家デビュー。著書多数。近著に『池田思想の源流 『若き日の読書』を読む』(小社刊)がある。